五ヶ丘の見晴らしの丘

a man from itsutsu ga oka
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7月15日



前のエントリであんな内容の記事を書いたそばから、今度は自販機でジュース買おうとして100円玉落として自販機の下に転がしてしまった。ちょうどその一部始終を見てた友達から「諦めが異様に早かった」と言われた。
これはその後でその友達に撮ってもらった写真。気に入ってます!

このあいだ原宿にzineの展示を見に行って、オープニングの時は人が多すぎて身動きとるのも困難で、活気があってその点はとても良いなと思ったけど、自分は人疲れしてしまい堪能できなかった。次の日の昼に新宿に行く用事があったのでそれが済んでからもう一度足を運んでみたらやはり人の数は賑わっていたものの、前の日より数段落ち着いて展示してある本を見たりできた。とても好きな感じの一冊にもありつけその一冊だけ購入した。もっと財布の中に余裕あれば試し買いとかもしてみたかった。
単純明快な‘おもしろさ’があった企画だと思いました。やる気とか貰った気がします。

また別件で、上の写真撮ってくれた友達と作業したんだけど、写真撮るポイントを探して結構歩き回ってる間、なんというかとても楽しかった。最終的には偶然性みたいなこともうまくとりこんだ写真が撮れた(勿論そいつが撮ってくれて)。
今その写真を使って自分が作業してるんだけど、いい感じの責任感持ちながらやれてると思います。最後まで保ってやろうと思います。
| - | 03:07 | comments(29) | trackbacks(0) | pookmark |
7月11日



麦茶の入った水筒(冷蔵庫に入れるやつ)の蓋の部分が突然壊れて、キッチンの床を水浸しにしてしまった。
一瞬やり場の無い怒りが沸きムッとしたけど、すぐに冷静になって床を拭いた。その最中に気づいたんだけど、こんな時ぼくは不思議と落ち着いてしまう傾向にある。妙に落ち着いてしまう。
結構前になると思うけど、外から帰宅して洗濯物を取り込もうとしたらタオルを干すやつ(あれは何て名前なんだろう)が壊れていて洗濯物が落ちてしまっていた。しかも丁度雨が降り出していたのでちょっとした惨事になった。
その時も、ちょっと嘆いた後すぐ洗濯しなおした。

こんな時って、自分には結局受け入れる選択肢しかないわけだから誰だって後の対応は似たようなもんか。床拭きながらなんですぐにムカつかなくなったんだろう〜?とか考えてしまったのでした。

そろそろ梅雨開け?この前外で友達と喋ってて、正味2時間くらい外に出てただけだと思うんだけど、腕がかなり日焼けしていた。
自分は今年、大勢で海行ける機会がなさそう。ああいう時の行き帰りの車の中ってすごい楽しい。
牛久大仏見に行きたいな。


| - | 02:26 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
7月1日
 そろそろ夕飯にしようかという時間だった。前日からの余りでまだ鍋にカレーが残っているはずだったから、今日の夕飯も必然的にカレーになる。
経済的な理由と、祖父母の家からたくさん送られてきたインゲン豆を調理するために少し多めにインゲン豆カレーを作ったのだった。
インゲン豆と一緒に送ってもらったトマトとキュウリを切って簡単なサラダも作った。ご飯は冷凍してある物を一食分取り出し解凍した。
カレーを火にかけようと鍋を開けてみて驚いた。カレーの表面に白い霜状のものが広範囲に広がっていた。自分の予測するよりも遥かに凄いスピードでカレーが腐ってしまった。
カレーは一日に一度火にかければ3日目までは大丈夫だろうと思っていたのだけど、確かに前日火にかけたカレーが今日腐ってしまった。
夕飯のおかずを瞬時に失い困ったけれど、仕方が無いのでコンビニに総菜を買いに行った。
道中、消費期限について認識を改めなければいけないなと考えていた。

サラダの方はおいしく食べれて幸いでした。
| - | 04:01 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
6月30日 怪人無礼講ララバイの思い出
 頭痛がひどい。
昨日は一日中痛みに悩まされて困った。今朝になって何とか頭の痛みが引きはしたが、かわりに目の奥のほうが痛む。困ったもんだ。

体を温めて痛みが和らげばと思い昨日は久々に浴槽にお湯を張り、ゆっくり風呂につかってみた。
そういう時は大体、風呂で本を読むようにしているのだけど、昨日は読みかけになっていた根本敬の「特殊まんが 前衛の道」を読む事にした。

本の中盤で根本氏の別著「怪人無礼講ララバイ」にまつわる話が書いてある項があって、内容は根本氏と内田裕也氏(ユーヤさん)とのエピソードなんだけど、根本氏はユーヤさんと2度(!)の初対面を果たしてるとのことだった。
そして「怪人無礼講ララバイ」は色々な意味でユーヤさんあってこそ生まれた漫画だったということだった。

自分が初めて買った根本氏の著作が「怪人無礼講ララバイ」だった。それ以前に「因果鉄道の旅」は友達から借りて読んだ事があったけど、自分で買うということと漫画作品という事に関して言えば「怪人無礼講ララバイ」が最初だった。
当時の自分はこの漫画とユーヤさんとの関係を明示する目次部分のデザインにすら着目できず、ただただ初めての「わからないもの」に出会った感覚だけを覚えたような気がする。
決してつまらないとは思わなかったけど、とにかくわからないということがたくさん出てくる。

その後、この漫画を当時通ってた美術予備校に持っていったら、貸してくれと言う友達が何人かいたので回し読みしてもらう事にした。結局誰の手元にあるのかわからなくなって、今に至る。

不思議というか、当たり前というか(それはそれはおもしろいから)、その後も自分は根本氏の他の作品にも次々に触れてく事になるんだけど。

そろそろ「怪人無礼講ララバイ」とも2度目の出会いを果たすことになりそうだなあ、なんて思いはじめています。もちろん、この場合、向こうからしたら初対面だとしておかなければいけないでしょう。
そういうの良いですよね。
| - | 00:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
6月15日 察し察されて生きるのさ
 最近は雨が多いので色々困る事がある。
ろくに天気予報も見ないので急な雨に振られて困ったり、気圧に体調を左右されやすい体質なので最近の低気圧で頭が痛くなって凄く困ったり。
今日も体調が悪くてきつかったけど、やっと回復の兆しを見せてきた…。
それでも夜の雨なら嫌いじゃないかもしれない。部屋にいる時に限るけど。
適度に湿気ある空気とかは気持ちよく感じるし、月並みに、雨音に気持ちが落ち着いたり。


●先日、久しぶりにある友達の部屋に遊びに行って、色んな話で盛り上がって楽しかった。
自転車でひょいと行ける範囲に友達の家があるってのはかなり重要ですよ。ありがたい事です。

それで、その友達と話してる最中に僕は「この人は察しがいいな〜」と思った。
こちらが何かを伝えたいのだけど、良い言い回しを見つけられず戸惑っていると、彼は「〜でしょ」と正に我が意を得るようなことをさらっと言う。

反応してほしいところにしっかり反応してくれて、且ついいリアクションが来る。

これは彼の一つの才能だと思う。彼のそういう能力が作ってくれるある意味スムースな会話の流れの中で、自分はうまく意思の疎通ができた実感を得られる。

もちろんだけど、予定調和的というわけでなく、その場の反応、勘の働きがいいなと思ったのでした。


●そんなことがあれば、逆パターンの出来事も起こる。

また別の日だったけど、レンタルしていたDVDを返しに行った時の事。
その時は1日延滞してしまっていたので延滞料金を払わなくちゃいけなかった。
レジで自分の接客をしてくれた店員さんは研修生の名札を付けていた。
僕は2本分の延滞料金として620円を請求された。それから財布の中にあるお金を確認して1120円をレジに出した。
すると、その店員さんはすぐにお金を受け取ってくれず、不思議そうな顔をしながら動きを止めてしまった。そしてちょっとタイミングを置いて「100円はいらないですね〜。1020円お預かりします。」と言って僕に100円を返し1020円でレジを打った。

もちろん僕は500円玉でお釣がくるようにお金を出したんだけど、いちいち指摘することでもないと思ったので100円は受け取り、更にお釣の400円をもらうことにした。

でも心のどこかでは、お釣400円とレジに表示されるのを見て、店員さんが僕の真意に気づき、はっとするかなと思っていた。

しかし、結局店員さんはなんの違和感も感じてない様子で僕に400円を渡した。多分そのことに対する僕のちょっとした動揺が顔に出ていたのだろう、また不思議そうに僕の顔を見ていた。


お釣の小銭はまとめるべきだというのが正義だとは決められてないし、そういう習慣について教わる機会もそうそう無いと思う。けどこの習慣は確実に一般的生活に根付いてるはず。僕は自分がレジに立つ経験もあるのでそれはわかる。
こういった作法について僕は幼少期に親の買い物の仕方を見ながら覚えた気がするが、研修生の店員さんがそういう経験を今までしてこなかったなら今こそ覚えればいいと思う。
僕の動揺が現れた表情から察すれば良かったと思う。


一連のやりとりで、その店員さんの中に少しの変化も生まれてないように見えたことが、僕には気になったのでした。


| - | 01:54 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
5月28日

紙の本が100%亡くなると断言できる、たった一つの理由

最近目にして結構考えさせられた記事。
ちょっと強引なんだけど、こんな理屈から紙媒体について考えたことはなかった。その点では新鮮だった。
でもこの記事にも多くの反論が寄せられていて、読めばそれぞれにある程度の説得力を感じるように、100%亡くなるとはまだ考えにくい。
ただ自分の気持ちを言うなら、「どうなるかわからないが、なくならないという希望的観測を持っていたい。」という感じ。
自分の場合は紙の持つストロングポイントより、電子媒体に感じる抵抗からくる感情であるような気がするけど。


ここ最近は雑誌の休刊や廃刊が目立つようになった。これは上の技術革新問題より広告費関連の問題に寄ってもたらされてることだと思う。でもどっちにしろ好きだった雑誌とか、当たり前の様に本屋に並んでた雑誌が消えるってことは寂しいものだ。

DOLLというPUNKの雑誌があって、いわゆる老舗の音楽誌で、カバーしている内容もアンダーグラウンド中心なんだけど、自分も今の様にネットを使ってなかった頃なんかはDOLLからしか得られない情報がたくさんあった。
そのDOLLも廃刊が決まったみたいです。それこそネットを使う今でも大体毎月読んでいて、まあ立ち読みが主だったけど気になる特集とかあるとたまに買ったりもしてた。
自分の興味のピンポイントじゃない情報とかに偶然触れちゃうことも一興だったり、しばらくして読み返したら当時全然気にしなかったことに反応したり。やっぱそれなりに愛着はある雑誌だった。



紙の媒体だろうが、電子媒体やそれに変わるものだろうが、いわば情報の仲立ちをするものの形がこの先どうなっていくかってのは現状まだよくわからないけど、今ある紙の雑誌の持っていたコンテンツの部分が雑誌ごと消えて行くのはすごく残念。
コンテンツがなければ、将来の雑誌や文字メディアの形体をどんだけ心配したって無駄な事に思える。



| - | 02:43 | comments(8) | trackbacks(0) | pookmark |
5月21日 the WAY

●劇場でやってるうちに観たかった映画、グラン•トリノを観て来た。
時間を調べたら、うちの近辺の映画館じゃもう日に1回とかしか上映してないみたいで、もうすぐ上映も終わってしまう感じだったのかな。間に合って良かった。
実際、映画館でも人は少なめで、結構悠々とした空間で観ることができた。

感想は、、、
凄かった。素直に感動した。
打ちのめされて放心というか、そういう状態になった。
友達で誰か見た人がいたら、いろいろ話したいな。

本編の内容は書けないけど、ラストのエンドロールのパート、
定点カメラからある場所の映像がずっと映し出されるだけの映像だけど、
自分と対峙させられる気分だった。そういう意味を持ってるすごい映像だったなと思う。

自分の前に大学生風の男2人組がいて、そいつらが前の席に足掛けたりしてて(二人とも同じポーズ取って)嫌だったんだけど、そいつらはエンドロールの途中で帰っちゃった。

それでは意味ないでしょう。偉そうに言うのが憚られるけど、わかってねーなと思った。
感想も好みも批評するのも人それぞれあるかもしれないけど、これだけは俺は心から思うから言うよ。あれは違うよ。観るとこ観れてない。

ま、それは置いといて、自分にとっては珍しく、もう一回観たいなって思った。





●この前DVDで観た「ぐるりのこと。」もすごく良かった。
感想書こうと思うけど、また今度。
| - | 03:16 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
5月18日 引用の引用の引用
 昨日のエントリを書いた後、よく観ているblogの少し前のエントリーを読んでいた。
その記事はある所からの引用から始まっていた。僕は引用元まで辿りその記事を読んだ。
結果三人の人が書いた文章に触れたのだけど、それを読み自分が感動した部分と最近考えていた事というか、うまく説明がつかないけれど人に話したかった気持ちみたいなものが符合するような思いを得た。
だから僕もここにその文章を引用させてもらいたい。
本来のマナーに沿うなら引用元を明記するべきなのだけど、ここを読んでくれている人の数は今のところ僕が顔を想像できる範囲で収まっているはずだし、少し思う所もあり今回は引用元は書かないでおきたい。
そのかわり、もしも知りたい人がいたら、僕に直接コンタクトを取って聞いてもらえれば喜んで教えさせてもらおうと思う。そんな感じでよろしくです。


忘れられた日本人」(P25-26)
こういう山の中でまったく見通しもきかぬ道を、あるくということは容易ではないという感慨を述べると、「それにはよい方法があるのだ。自分はいまここをあ るいているぞという声をたてることだ」と一行の中の七十近い老人がいう。どういうように声をたてるのだときくと「歌を歌うのだ。歌を歌っておれば、同じ山 の中にいる者ならその声をきく。同じ村の者なら、あれは誰だとわかる。相手も歌をうたう。歌の文句がわかるほどのところなら、おおいと声をかけておく。そ れだけで、相手がどの方向へ何をしに行きつつあるかぐらいはわかる。行方不明になるようなことがあっても誰かが歌声さえきいておれば、どの山中でどうなっ たかは想像のつくものだ」とこたえてくれる。私もなるほどなぁと思った。と同時に民謡が、こういう山道をあるくときに必要な意味を知ったように思った。

宮本常一著「忘れられた日本人」

誰もが山中の見通しのきかぬ道を歩いているのだから、みんな歌を歌えばいいし、ともに歩いていなくとも、その歌をみんなが耳にすることができればいい。行方不明になったとしても、ああ、あいつはあっちの方へと行っていたんだったなと覚えておいて貰えればいい。

せめて、そのような「関係」と呼ぶにも薄すぎる、同時代、同空間にいるという存在の認識をお互いがし合えているだけでも、随分と違うだろう。

僕たちは、XXXさんと、XXXさんと、XXXさんと…社会に生きるその他たくさんの人たちと、山中の別々の道を歩いている。
遥か遠くの方から、彼らの歌う歌が聴こえる。明るい話し声が聴こえる。僕たちはその声を、歌を知っている。
僕たちはかつて、ひとつのムラの中に暮らしていた。今はそこを出て、別々の道を歩いていくしかない。もうムラには戻れない。
それでも、互いの歌声、よく知っているその歌を聴けば、相手の今歩いている道の険しさを思いやることができる。
想像力を働かせ、共感の翼を広げることができる。


名詞の箇所は伏せました。
なにが自分の気持ちと符合したかってとこですけど、僕は友達の書いてるblogとか、はたまた世に出した作品とかをすごく気にして見てると思っているんだけど、その程度を言えば多分皆が思っている以上じゃないだろうか。
最近会って直接話した人なら思い当たるかもしれないけど、しょっちゅうそんな話題を出していたように思う。
そしてこうやって最近になりblogを書くようになったことにもすごく表れている。
...これ以上は青臭くなり過ぎちゃうので察してください!
お願いです(笑)

こんなこと書けば意味不明だろうけど、苛ついてるのか、焦っているのか、燃えているのか、寂しいのか、元気が有り余ってるのかなんなのか、ちょっと得体の知れないものが体の中にあったけど、僕にとってすごくいい塩梅でその変なものを納得(っぽいこと)させてくれた。(気がする。)

少なくともここで独り言を呟いてるつもりではないんで、誰かの歌でいいから、聴きながら、歌いながら、行きましょう。
この記事2回も消えたんだけど、結局また書いた!

それではまた明日。




| - | 00:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
5月17日



京王線の橋本〜調布間で、南大沢を過ぎ堀之内に差し掛かるあたり、トンネルの中を通るポイントがありますが、あそこを通る時、『ごぉぉぉ』っていう電車が走る際に発する音がどんどん増長するんだけど、ピークに達すると結構な大音量になる。

あの渦中にいるとき自分はイライラする。
分別もついて歳をとり〜ってのじゃないけど、そういう騒音が出る事自体は電車が走る仕組みの上で仕方ないってのはわかってるつもりだ。だから音が出ることや、音量に反応してるわけじゃない。

小学校とかで生徒が体育館に集められて校長の話とか聞いてると、生徒の誰かが喋りだすと堰を切ったように他のヤツが喋りだして凄いざわつくってのがよくあったけど、自分はそういうタイミングだと結構冷めてる方だった。そういう調子乗り方って寒いなっていう嫌悪感があった。


で、南大沢〜堀之内間の京王線だけど、あそこで京王線は調子乗ってる気がする!
根拠は、、、その時の俺の気持ちが前の件の小学生のときとシンクロするから。
『ごぉぉぉ』から『ごおおおおおお』までの音量のグラデーション、あれは調子乗ってるやつのグラデーションでしょう。
きっとそうだよ。

| - | 00:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
5月16日





*注意
この話題は自分語りの類ではないという体でよろしくです!

失礼な言動や態度のこと。
それこそ、細かく見ていけば自分で気づけてないことも結構あるでしょう。
それに気がついたときはショックを受けたり恥ずかしくなるでしょう。

でもでも
まあそれはどっかに置いとくとして、(置かしといてください)
自覚的な失礼さのこと。

なんのこっちゃって感じでしょうか?

例えば、暴言を吐くようなまねをして、それで人を笑わせようと試みること。
僕がよくそんなことをやろうとしているのは周囲にばればれでしょう。

友達の多くは、多分僕が暴言を吐くまねをしても、な〜んかいい具合のとこで受け取って笑ってくれたりしている。(たまに超キレてる人もいるけど!)
僕もそうやって受け取ってくれるのをなんとなくわかっててやってる。
良いバランスを保てるポイントを見つけるようにしてる。と言いますか〜…。
コミュニケーションとはそんなことじゃないかとかは考えたりしてます。
(この件はぼやけた物言いが多くてすいません。)

つまり、いや、全然わかんないかもしれないけど、失礼なこと言ったり太々しくできる時にしか伝えれない情みたいなものが確かに自分の中にあるから、僕はそういう行為を結構大事にしてる。…かもしれない。



で、結局最終的に何が言いたかったかですが、

失礼なこと言えないシチュエーション、例えば面識のない目上の人に電話を掛けたりする時に、自分の声がやたらとかわいらしくなっていることに気がついてしまった。
あれを録音とかして聴いたら相当落ち込むことでしょう。



いや〜まとまらなかった!!
反省します。
良い歌でもどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=AwxNaRixAUk
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