2009.07.16 Thursday
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忘れられた日本人」(P25-26)
こういう山の中でまったく見通しもきかぬ道を、あるくということは容易ではないという感慨を述べると、「それにはよい方法があるのだ。自分はいまここをあ るいているぞという声をたてることだ」と一行の中の七十近い老人がいう。どういうように声をたてるのだときくと「歌を歌うのだ。歌を歌っておれば、同じ山 の中にいる者ならその声をきく。同じ村の者なら、あれは誰だとわかる。相手も歌をうたう。歌の文句がわかるほどのところなら、おおいと声をかけておく。そ れだけで、相手がどの方向へ何をしに行きつつあるかぐらいはわかる。行方不明になるようなことがあっても誰かが歌声さえきいておれば、どの山中でどうなっ たかは想像のつくものだ」とこたえてくれる。私もなるほどなぁと思った。と同時に民謡が、こういう山道をあるくときに必要な意味を知ったように思った。宮本常一著「忘れられた日本人」●誰もが山中の見通しのきかぬ道を歩いているのだから、みんな歌を歌えばいいし、ともに歩いていなくとも、その歌をみんなが耳にすることができればいい。行方不明になったとしても、ああ、あいつはあっちの方へと行っていたんだったなと覚えておいて貰えればいい。
せめて、そのような「関係」と呼ぶにも薄すぎる、同時代、同空間にいるという存在の認識をお互いがし合えているだけでも、随分と違うだろう。●僕たちは、XXXさんと、XXXさんと、XXXさんと…社会に生きるその他たくさんの人たちと、山中の別々の道を歩いている。
遥か遠くの方から、彼らの歌う歌が聴こえる。明るい話し声が聴こえる。僕たちはその声を、歌を知っている。
僕たちはかつて、ひとつのムラの中に暮らしていた。今はそこを出て、別々の道を歩いていくしかない。もうムラには戻れない。
それでも、互いの歌声、よく知っているその歌を聴けば、相手の今歩いている道の険しさを思いやることができる。
想像力を働かせ、共感の翼を広げることができる。名詞の箇所は伏せました。
なにが自分の気持ちと符合したかってとこですけど、僕は友達の書いてるblogとか、はたまた世に出した作品とかをすごく気にして見てると思っているんだけど、その程度を言えば多分皆が思っている以上じゃないだろうか。
最近会って直接話した人なら思い当たるかもしれないけど、しょっちゅうそんな話題を出していたように思う。
そしてこうやって最近になりblogを書くようになったことにもすごく表れている。
...これ以上は青臭くなり過ぎちゃうので察してください!
お願いです(笑)
こんなこと書けば意味不明だろうけど、苛ついてるのか、焦っているのか、燃えているのか、寂しいのか、元気が有り余ってるのかなんなのか、ちょっと得体の知れないものが体の中にあったけど、僕にとってすごくいい塩梅でその変なものを納得(っぽいこと)させてくれた。(気がする。)
少なくともここで独り言を呟いてるつもりではないんで、誰かの歌でいいから、聴きながら、歌いながら、行きましょう。
この記事2回も消えたんだけど、結局また書いた!
それではまた明日。